出来事

自分だけの作品づくりのための、愚痴。

溜め込む性格を直すために、日記をはじめました。

内容は、できるだけ愚痴を書くこと。これは、ヒーラーの先生に教えてもらったことです。書き出すと、吐き出したことになるからすっきりするそう。人に吐き出すのもいいけれど、それができないお人良しな人は、書き出すといいのだそうです。

小さなノートを百均で買ってきました。

愚痴みたいな感情がうまれたら、ささっと書きます。その場ではすっきり感はちょっとわからないかも、という程度です。

ノートはいつのまにか、メモ帳がわりとしても使われ始めます。それでもときどき、愚痴を書きます。

ノートには、スケジュール帳に書けなかった予定や、愚痴や、ふと思いついたアイデアや、友達に聞いたレシピが書き足されていきます。愚痴のためだけのノートだったはずが、いつのまにか、わたしの敏腕執事にでもなったかのようで、なんだかとても気に入ってしまいました。

わたしは、確かに溜め込む性格だけれど、そんなところ、最近は好きになりつつあります。溜め込むからこそ、わかることがあることに気づいたからです。

たぶんわたしの中には、浄化機能が備わっていて、愚痴として感じたことはその機能により浄化され、いつのまにか外に分解されてなんらかの作品になっています。それは、夕飯の料理だったり、掃除してぴかぴかになったへやだったりします。それはわたしにとっては確かに、わたしの心が生んだ作品なのです。

愚痴を書き出すことは続けます。なんとなく、健康的だと思うから。けれど、全部は書ききらないで、少しだけ、ほんの少しだけ溜め込んで、わたしだけの作品をこっそり生み出して満足感を得ることは、やめたくないなぁと思います。

愚痴も、苦しみや悲しみも、時には作品になる。アーティストじゃなくても、形にできる。

そう考えると、ただの主婦だってパートだって、捨てたもんじゃないって思えます。

自分だけしか知らない秘密なのだから。おすすめの考え方ですよ。